神の愛は静かにふりそそぐ夜露が、すべての植物をうるおして生気を与えるように。

会社で仕事を始める前、毎朝3~4分、谷口雅春先生著、「聖経 真理の吟唱」を読んでいます。

毎回心に染みます。

”ああ、やっぱり素晴らしいなぁ。

今日も1日、この気持ちを忘れずにやって行こう。”

毎回そんな風に思います。

今回、その中でも、特に印象に残った話、紹介します。

それは、”神の愛を実践する祈り”(P111~114)です。

このお祈りが特に印象に残って、ここ数日この祈りを読んで一日を始めていました。

全ては抜粋しませんが、特に印象に残ったのが次の所です。

神の愛は静かに降りそそぐ夜露が、すべての植物をうるおして生気を与えるように、静かに音もなく、目立つこともなく万物を生かす。

万物を生かしながら、自分が生かしてやったというような顔すらしないで、朝がくれば消えて行くのである。

それでよいのである。

本文 P113

 

 

 

 

この最後の、”それでよいのである”、という所。

筆者である、谷口雅春先生が、そう私に言われたのです。

そう私にささやかれた・・・。

それがはっきりと認識された時の状況、ちょっと説明したします。

 

 

 

 

親戚の娘さんが、今住んでいるアパートにおられなくなったらしい。

いわゆる金欠病。

その話を聞いたのが数週間前ほど。

問題は、彼女の両親が、彼女が自宅に戻ることを了承しないこと。

なぜなら、彼女が自力でやって行くという約束で家を出て行ったからのようだ。

それで、娘さんが、我が家に3か月から半年置いてくれないか、と妻に懇願してきた。

妻曰く、”あなたの部屋を彼女に貸してあげてください。”

私、”ええええええ、じゃあ、僕はどうなるの。”

”下のオフィス部屋にしばらく行ってください。”

・・・・・・・。

 

これに憤慨していた私。

おいおい、親の責任だろ。

何で俺が自分の部屋を開け渡さねばならんのだ。

この部屋は、自分にとって非常に、非常に、ひじょう~に、大事な場所であるのに・・・。

この部屋をギブアップするのか・・・。

おまけに彼女の親は、自分に、すまないとか、お世話になるとか一言もない。

おいおい、一体、なんなんだよ・・・。

 

 

 

そんな時、このお祈りを読んだ。

 

”ああ、オレはなんて愛の浅い利己主義な人間だったんだろう。

自分のことばかり考えて、困っている彼女のことを思いやる気持ちもないのか。

ここで自分が拒絶したら、彼女はどんなにか悲しむことだろう。

よし、困っている彼女を助けよう。”

 

このお祈りを読んでそう想った。

そう想った時に、雅谷口春先生が、

”それでよいのである。”

と言ってくださった。

その場面がくっきりと心に浮かんだ。

 

神の愛には、まだまだほど遠い。

でも、これで少しは、ほんのちょとは距離が縮まっただろうか。

そう思うと、娘さんにも感謝。

彼女がその機会を与えてくれたのですね。

家に来ることで、彼女もきっと良くなるに違いない。

 

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