人間として、生まれてきただけで超ラッキー。

通勤途中、牛を2,3頭、おそらく個人で飼われているのだろう、道路沿いに見かける。

だいたいのんびりと草を食べている。

あるいは座ってくつろいでいる。

一見気楽で何の悩みもないように見える。

でもその実、彼らは知っているはずだ、いずれ時期が来れば殺されてしまうと。

それは、いろん状況から、彼らには分かっていると僕には感じられる。

飼い主の日々の接し方、決してぞんざいではないだろうが、家族の一員としての扱いからは、一線をなす扱い。

だから、実はあきらめの境地で、その日がくるまで、日々過ごしているに違いない。

運命を受け止め、気にとめることなく、ただただ生きて行くのだ・・・。

 

もし自分があの牛に生まれていたら、どうだろう。

どうしようもない、決して状況を変えられない中で、待ち受ける死刑執行までの日々を過ごすのだ。

夢も希望もなく。

食用の牛として生まれ、食用の牛としての生を全うして行くのだ。

いずれ(飼い主の都合のいい時期に)殺されるこの身、だ。

 

・・・まあ、こうして人間として思考している時点で、そんなこと考える意味が実はないだろう。

食用の牛としてこの世に生を受けた、そんな”過酷な宿命を背負った者”の想いなんて結局分からないのだ。

僕は人間としてこの世に生まれてき、彼らは食用の牛として生まれてきた。

これが事実。

この差はどこから来たのだろう・・・。

なぜ”彼ら”は食用の牛として生まれるという、過酷な運命を背負ってきたのか。

そうやって考えると、人間として生まれてきた自分は運が良かったのか・・・。

まあ、自分が人間である(他の生物ではない)なんてことをどうこう考えるなんて、大抵の人は気にはしないだろうね。

 

 

 

先週、POWER BALLというクジで一等賞をとった二人が$198ミリオン、日本円でいうと220億円ほどの現金をそれぞれ手にいれたというニュースを聞いた。

220億円か・・・。

途方もない金額だ。

税抜き後の金額だから、丸々自分のもの。

一等賞をとる確率は、3億分の1だそうだ。

・・・まず無理だわな。

でも買わないことには絶対にあたらないのだが。

 

クジを買って外れた何千万もの人が思ったことだろう。

何て運のいい奴らだ!

本当にうらやましいよ!

3億の中から選ばれたクジの持ち主。

その当人になれたという超幸運な人。

”ああ、やっぱり俺にはそこまでのツキはないかぁ~。”

 

 

 

”いや、ちょっと待ってください(とは、牛の声)。

あなた人間として生まれてきてますよね。

あなたが人間として生まれてきた確率、ご存知ですか?

70兆分の1ですよ。

70兆分の1の確率を勝ち取って、あなたは今ここにいるのです。

POWER BALLの一等賞の比じゃないのです。

70兆分の1って、3億分の1の23万倍

POWER BALLの一等賞の確率なんてぜんぜん目じゃない。

 

あなたどれだけツイてるんですか!

 

実感できないだけなんです。

途方もないラッキーさでもってあなたは今ここに人間として生きているということを。

 

・・・ああ、僕もあなたのようにラッキーであったら。

このように食用の牛としてではなく、あなたのように人間として生まれてくることができたら・・・。

70兆分の一か・・・。

そこまでのツキは、僕にはなかったなぁ~。”

 

 

POWER BALLのニュースを聴いて、僕に浮かんだ空想が、そんな牛のつぶやきだった。

運転しながら、ちらっと見た時、たまに目があうんだよな。

その時、なんかそんなことを訴えているような感じがしてね・・・。

“You are super lucky to be a human!(人間であるということ、実はそれだけで、あなたものすごくついていますよ!)”

 


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