お金があるだけでは幸せになれない、その理由。

多くの人がこう思っているんじゃないでしょうか。

”ああ、お金さえあればなぁ。

こんな仕事辞めて、自由きまま、幸せに暮らせるのになぁ。”

 

・・・そう考えるのは一考普通のように思えますね。

物に限らず、時間も空間も、お金さえあればいろいろと解決します。

空間でいうと、住む家もお金があれば好きな家が買え、素敵な家具も買え、行きたいところに行き、過ごしたいところで生活するなど大抵の願いを叶えることができます。

時間にしても、仕事をしなくていいならば、全て自分の自由時間となる。

好きなことをやって暮らせる・・・。

 

やっぱお金だよ・・・。

それさえあれば幸せになれるよ・・・。

 

・・・ところが、お金は幸せになるために必要ではあるけれども、それがあれば絶対に幸せになれるかというとそうでもないらしい・・・、まあ、良く言われることであります。

今回はそのことについてちょっと考えてみたいと思います。

 

幸せになるために必要な要素。

まずは幸せになるために必要な6つの要素、以下列挙します。

1、:愛し、愛されること。

2、智慧:物事を正しく考え判断する力があること。

3、生命:健康で活力にあふれていること。

4、供給:必要なものが十分与えられること。

5、悦び(よろこび):嬉しい、楽しい、ありがたいという気持ちで満たされていること。

6、調和:周囲の物・人と適合したストレス・フリーの状態であること。

いろいろ意見はあるでしょうが、この6つでほぼ幸せを感じるために必要な要素を網羅していると言っていいのではないでしょうか。

 

 

 

お金は幸せになるための手段にすぎない。

冒頭にもどって、”お金”の重要さを考えてみます。

お金は4番目の供給にあたりますかね。

お金によって供給を得る訳ですから、そうでしょう(なるほど、お金とは供給を得るための”手段”に過ぎないのです)。

 

でもお金があれば何でも手に入るような感じもする・・・。

供給はもちろん、愛も智慧も生命も悦びも調和も、お金さえあれば何でも大抵は手に入るような感じがします。

それがお金のもたらす”絶対感”なんでしょうね・・・。

 

・・・でも、やっぱりお金は絶対じゃない。

自分の利己的な”欲望”あるいは”煩悩”を満たすためだけの”お金さえあれば・・・”という想いは、もしその願いが叶ったとしても、他の5つの要素(愛・智慧・生命・悦び・調和)を実感できない限り、永続して幸せを感じることはできないでしょう。

お金の先にあるもの、そこを見据えて、愛・智慧・生命・供給・悦び・調和の6要素が全て満たされる生活スタイルを築いて行くことです。

あなたの幸せを妨げるもの。

さて、一旦お金のことは置いといて、では今の自分の幸せ感が薄いとしたら、その理由は何なのでしょうか?

上の6つの要素の内のどれかが欠乏しているに違いありません。

注意しなくてはいけないのは、一つの要素が他に比べて著しく欠乏してしまっている場合、その欠乏した要素が幸せ感をキャップ(上限)してしまうということです。

つまり、どんなに一つ、あるいはいくらかの要素の満足度が高いからといっても、それが他の要素の不足点をカバーできるものではない、ということです。

ですから、6つの要素(愛・智慧・生命・供給・悦び・調和)全てを高めてゆくことが幸福の実現には是非とも必要な訳です。

愛情はある、智慧もある、健康でもある、しかし供給が途絶え、必要なものを手に入れることができなかったらそれは幸せではないでしょう。

幸せ感の量り方。

単純化して言うと、例えばこんなパターンです。

頭がよくて仕事もでき(2、智慧=◎)、体も鍛えて健康で(3、生命=◎)、エリート社員で収入も高いが(4、供給=◎)、妻からの愛情を感じない(1、愛=△)。

それゆえ寂しさを感じ(5、悦び=△)、妻とも不仲になり、家に帰る気が起こらない(6、調和=△)。

この場合、妻との不仲による程度がこの人の幸せ感を上限(幸せ感=△)してしまう。

他の要素がどんなに良いとしても、愛が感じられない程度に従って、幸せ感も低下してしまうのです。

また、次の様なパターン。

愛情にあふれて(1、愛=○)、健康状態も良く(3、生命=○)、生活に必要なものは何ひとつ事欠かないほど富に溢れているが(4、供給=◎)、物事を的確に判断できないが故に問題を起こしてばかりおり、トラブル続きの人生を送っている(2、智慧=×)。

それゆえ苦難に満ちた日々を送り(5、悦び=×)、周囲の人々から非難される毎日を送っている(6、調和=×)。

愛情に恵まれ、健康状態も良く、十分なお金があったとしても、常識的な思考力・判断能力がないと幸せな人生は送れない。

芸能人でたまにこのような人を見かけることがありますね、セクハラでニュースになったりなど。

飲酒関連の不幸なニュースもよく目にしますが、愛と智慧の要素が大きく欠如している場合が多いように感じられます。

これは架空の例えですが、実際にこのような状態が続くと、健康面、経済面等、結局全ての要素において下降をたどることは間違いありません。

愛とはそれが、本当の意味での、つまり利己的でない他を思いやる愛に徹しているならば、それは自然智慧を伴うものとなります。

ですからもし日常生活上、愛情を与え与えられながらも不幸な結果に陥っているとしたら、それはどこか偏りのある間違った愛を実践していると思って反省すべきです。

6つ全ての要素が大切ではありますが、正しい愛の実践が全ての基本になる、と私は思います。

 

さて、一番理想的なパターンはこんな具合でしょうか。

家族皆和気あいあいと愛情にあふれ(1、愛=◎)、人・時・所に応じた適格な思考・判断をし(2、智慧=◎)、適度な運動、規則正しい生活で心身ともに健康であり(3、生命=◎)、余裕のある生活を送るに十分な収入が確保されている(4、供給=◎)。

日々感謝に満ちた楽しい気持ちに溢れ(5、悦び=◎)、家庭・職場・社会生活上において一切と和解・調和した生活を送っている(6、調和=◎)。

こう実際書き出してみると、”お金”がたくさんあることが必ずしも幸せに繋がらないことがよく分かります。

 

お金、お金と言っている人は、生活上もっと本質的なことに目を向けていないケースがほとんどなんじゃないでしょうか。

例えば先ほども述べました、他を思いやる気持ち

さりげないことですが、お金を自然に引き寄せる人は、こういったマインドを持っているはずです。

なぜでしょうか?

それは、人類のためになる(ちょっと話が大きいですが)目的は必ず成就されるのが道理としたら、それに必要な手段は必ず与えられるのも道理であるからです。

お金は手段であって目的ではないのです。

繰り返しになりますが、”お金の先にあるもの”、を見て行く姿勢をもちましょう。

 

 

まとめ

幸せに必要な6つの要素、再度振り返ってみましょう。

1、:愛し、愛されること。

2、智慧:物事を正しく考え判断する力があること。

3、生命:健康で活力にあふれていること。

4、供給:必要なものが十分与えられること。

5、悦び(よろこび):嬉しい、楽しい、ありがたいという気持ちに充ち溢れていること。

6、調和:周囲の物・人と適合したストレス・フリーの状態であること。

これら6つの要素をセットとして、一まとめで向上させて行くことが大切です。

お金だけじゃ幸せにはなれない、これら6つの要素が全て満たされないことには幸せを感じることはできないのです。

 

「如意宝珠観」というお祈り。

さて、ここまで読んでもうご存知の人もいるでしょう。

この6つの要素、実は”生命の実相哲学”を提唱された谷口雅春先生「如意宝珠観(にょいほうじゅかん)」というお祈りの中で紹介されています。

如意宝珠を観ずる祈りのことです。

・・・如意宝珠?

それは一体何なのか、以下ご覧ください。

…如意宝珠というのは実は自分の生命(いのち)のみたまの事であります。

いのちのみたま即ち自分の魂というのは自分の心によって、如意に、心のままに何でもあらわすところの御魂(みたま)でありますから、これを如意宝珠と称えたのであります。

「新版 詳説 神想観」P128

 

自分の魂は、心に描いたところのものを何でも表すことができるのですから、自分の心の中で、これら6つの要素(愛・智慧・生命・供給・悦び・調和)が全て完全に満たされている状態を想い描くことが大切です。

 

描くという事は、ちょうど、物体を握っていたのを離したようなもので、それは一つの行動で、心に描くことも一つの行動で、その後は法則が働く、いやでも応でも上から離した物体は下に落下する。

それと同じように描いたものは必ずそれが実現するという事になるのです。

同じく本文 P128

 

ここで紹介していることは、本で述べられていることのほんの一部分です。

興味のある方は読んでみてください。


詳説 神想観

BUT、しかしです。

”生命の実相哲学”に興味があってこれから学びたいという方には、上の本を読むには正直まだ早いと私は思います・・・。

谷口雅春先生も上の御本の中で、”神想観の根本として大切なのは聖典を十分お読みになること(P186)”と述べられています。

まずは『青年の書』、これを読まれてみてはいかがでしょうか。

それによって”生命の実相哲学”の土台が理解できるでしょう。

 

一冊との本との出会いがあなたの人生を変えることがあります。

工藤房美さんが、余命一か月の癌をすべて消すという奇跡を起こすことができたのも一冊の本との出会いからでした・・・。

そんなきっかけになり得るのが『青年の書』である。

実際私にとっては、そうでありました。

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