再び夢を描けということ。

忙しい日々が続いていますが、今日一日はゆっくりと過ごすことができそうです。

これを機会にブログで何を皆さんにお伝えすべきかと思った時、やはりの話になってしまう・・・。

誰もが皆夢を叶えることができる!

今回皆さんにお伝えしたい気持ちと、自分自身再認識する想いをこめて、それでは行ってみましょう!

夢の中のもっとも根本なるもの。

夢の中のもっとも根本なるものは、人間が神の子であるというところの夢である。

『青年の書』P.148

 

上の文章、人によっては一読、”何言ってんだ?”と感じられるかもしれません。

このブログを以前から読んでいる人には理解されやすいかもしれませんが、そうでない方にはちょっと入り込みづらいかもしれません。

でも本文を読み終える頃にはその疑問も解消されていることを願います。

とりあえず今は”神”という言葉を”完全自由なる本体”と置き換えて考えて下さい。

すると自分が神の子(神の万能を継承するもの)であるという想いを心に強く描くことが、なぜ夢の根本であるのか理解し易くなるかと思います。

それではちょっと上の文を置き換えてみましょう。

「夢の中のもっとも根本なるものは、人間が”完全自由なる本体を受け継ぐもの”というところの夢である。」

 

夢を実現しようと思ったら、まずは自分にその夢を達成するだけのがあるとはっきり認識できなければなりません。

神が完全自由なる本体であるとし、そして自分がその子であるとしたら、自分もまた完全なる自由を有するということであります。

完全なる自由を有するとは、すなわち自分が望むものは何でも自由に手に入れ実現させることができるということ。

それを真に欲しており、他人に迷惑をかけず、また自分の魂を向上させることに繋がり、さらに周りの人々の幸せにも役立つのならば、その望みは必ず叶うのです。

 

そう、必ず叶うのです。

 

「自分は神の子(完全自由なる本体を受け継ぐもの)なんだ、だから、○○という夢を絶対に叶えることができるんだ!」

この”自分は神の子なんだ”という想い、これを強固な思想として自分の意識に定着させること、そしてその想いをベースとして夢実現のための具体的計画・行動を整えて行くのです。

それによって夢は必ず叶えられはずです。

 

神の国は肉眼で見える世界ではない。

今目に見えているものを絶対的なものとして捉えてはなりません。

自分の眼前に展開している現象のみに心を捉えられしまうのではなく、(前述したような)完全なる理想的心境を自分の心に持ち続けることです。

すなわち自分は神の子(万能を継承するもの)であるという想いをベースにした理想世界です。

 

今自分が置かれている環境と、自分が抱いている理想のギャップは大きいかもしれない。

しかし今置かれている環境は、各人が今まで培ってきた想いがこの世の中に表出した結果とも言えるのです。

・・・現象世界は内に自覚されたる信仰が外に映写されるところの世界であるから、まず神の国を心に描いてそれをありと念ずれば、すなわちその世界が現実世界に現れてくるということになるのである。

『青年の書』P.149

 

まずは理想とする世界を吾々の心の内にはっきりと描くことです。

自分が活躍する理想の世界(自分が夢を実現し周囲に幸せを作り出している世界)を心にしっかりと描き、そしてその世界が必ず現れて来ると信じることが出来れば、その世界は自分の周辺に必ず実現されるのです。

 

 

「夢を描く」ということの本当の意味。

 

まだ肉眼に見ることを得ざるものを心に描いて実在すると見ることを「夢を描く」というのである。

すなわち夢を描くとは心の受信機の真空管に、神の国の放送を感受するところの同波長の波を起こすというにほかならないのである。

『青年の書』P.152

 

ここに適切な夢は必ず叶えられるということの理由を垣間見ることができます。

必ず叶えられる夢とは、夢が誕生した時点において神の国から放送されている波長を感じとられた上で形成されているのですね。

つまり夢を描いた人の心中に神と同波長の想いが存在していた(そうでないと神からの波長を感じ取ることはできない)ということ。

 

吾々の偉大な先人の方々の発明を思うに、彼らがなぜそのような発明をなすことができたのか。

それはその人達が、自分は神の子だという想い(必ずしも”神の子”という言葉通りではないとしても類似の想い、つまり完全自由なる本体を継承するもの、自分は万能であり不可能はない、という想い)を心の基底にもっていたからに違いありません。

そんな彼らの想い(波長)が、神の世界から発せられている大発明の波長と同調することで、彼らの心の受信機に神界からの波長がキャッチされた、といことではないでしょうか。

人類史上画期的大発明と言われるような発明は、人知を超えたような発明でしょう。

それは飛行機であったり、TVであったり、セルホーンであったり、今は当たり前のものであっても、はじめてアイデアとして挙がった当初は到底普通の人には実現不可能に思えるものでした。

そんなアイデアが降って沸いてくる、そして尚且つ実現させようと行動を起こす基には、自分は”完全なる自由の力”を有するとその人自身が完全に自覚していないことには不可能です。

それが”神の子”という想いなんですね。

道を歩く時にも常に「吾神と共に歩む」と心に念ぜよ。

これこそ大いなる夢を描くことなのである。

「吾大いなる智慧と供に歩む」と念ぜよ。

これこそ大いなる夢を描くことなのである。

『青年の書』P.152

 

”自分は神の子であると心底想えること。

 

冒頭にかえって、夢の中のもっとも根本なるものが、人間が神の子であるところの夢であるということの理由がこの時点で明らかになります。

自分が神の子であると心から実感できるならば、その想いは神と同波長の想いであるが故に、その限りにおいて自分が望むあらゆる事象・出来事がこの世界に実現可能になるのです。

これ以上に壮大な夢があるでしょうか。

例え今夢がないとしてもかまいません。

自分が神の子であると実感できれば、自分にもっとも適当な夢が自分が望むに従って与えられるでしょう。

 

 

 

夢を描くということは一つの祈り。

夢を描くということは、結局今現実の世界にあるよりもなおいっそう完全なるものを心に描くという技術である。

それは一つの祈りともいうことができるのであって、祈りとは、未だ現実になきものを、心の世界で「すでにそれが存在する」として心に描き言葉にとなえることなのである。

されば夢を描くことこそ本当の祈りなのである。

『青年の書』P.153

 

夢を描くにしても、祈りにしても、未だ実現せざるものを心の世界で作り上げる作業です。

何を作りあげるにしても、あるいは作りあげられるにしても、まずは心で想はないことには何も始まりません

”祈り”とはいうが、形式ばって祈らなくとも、繰り返し心に想い描くこと、あるいは度々口に発することは祈りの行為と同等です。

ネガティブでマイナスの想いや言葉を常々発していると、それが自分の本心ではないとしても、自然祈りとなり実現されることになります。

されば大いなる夢を描くことをもって祈りとしましょう。

自分は神の子であり、無限の力と愛と智慧を与えられているものだ。

そんな自分が描いた夢は必ず実現される、実現されない訳がないんだ、という強い確信を持ちましょう。

その確信する行為の積み重ねが夢の実現へと繋がって行くのです。

神は常に吾と供にあり、吾が望む夢の実現を後押ししてくれている。

夢の実現に必要な力は既に神様から与えられている。

どんなピンチや困難に会おうとも、必ず解決し給まう。

その想いをゆるぎなく根底にもって事にあたるのです。

すると必ず夢は叶うはず、いやもうすでに叶えられている、そう信じて日々生活して行きましょう。

 

今回は谷口雅春先生著『青年の書』第十六章「心に描いたものを実践せよ:一、再び夢を描けということ」を参考に書かせて頂きました。

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クリックしてカスタマー・リビューが読めます、以下その中から二つ紹介します。

”自分にちょうど良いタイミングで出会えた本のような気がします。勇気と希望が沸いてきました。これを読むとみんな夢と希望を抱いていた青年時代に戻るのではないかと思いました。個人的に光明思想は好きなので、もう一回読み返したいです。” BY Lさん

”「自己の内部理想」「背水の陣をしけ」「言葉の力を修練せよ」「決意の青年たれ」など未来のある青年を鼓舞する文章が、美しくかつ激しい文章で綴られている。すべての中学・高校に配布して生徒に読ませたいと思うのは私だけであろうか。若者だけではなく、あらゆる年代の者が読むべき本である。特に失意の人は一読後たちまち生きる勇気が湧いて来るのを感じることができるであろう。” BY capitan_futuroさん

 


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