解雇されない人になる、いやさらには、会社が欲しい人材になる3つの要素。

2018年4月14日

今回は、私がアメリカでのサラリーマン生活の中で経験し感じてきた、”解雇”にまつわる話です。

ナイーブな日本人として、いろんなハンディがありながらも、何とか生き残ってきた(と言ってはちょっと大げさですが)理由について振り返ってみたいと思います。

それでは早速行ってみましょう!

 

今まで経験してきた解雇劇の数々。

初めての経験。

過去20年ほどで、大きくは4回ほどあります。

一回目は、2001年ごろ、ハイテク産業の不振により、工場が閉鎖されることになった際です。

ほとんどの従業員は解雇されましたが、1セクションのみが他社に吸収され社名を変えて存続することになりました。

当時私は会社に勤め始めてわずか2年ほど、経理課総勢10名ほどいたでしょうか、それが2名以外は皆解雇されることになったのです。

残るのは課長一人とスタッフ一人です。

もう少しで退職して気楽な老後を楽しもうとしていた人、長年勤務してきて転職など思いもしていなかった人など、当時は再就職も難しい状況でしたので、たくさんの人に動揺が広がっていました。

私としては、その時は若かったですし、まあ何とかなるだろうと気楽に構えていましたが、今思うと働きながら大学にも通っていまして、卒業まではまだ数年かかりそうな状況でした。

あそこで解雇されていたら、果たして次の仕事は見つかっただろうか、またその後無事大学を卒業できただろうか、と本当に危なっかしい。

学費も会社が負担してくれていた中、何とも呑気なものでした。

そんな中、当時課長として新しい会社へ雇用されることが決まっていた人が、新しい会社での相棒として当時の経理スタッフの中から私を選んでくれたのです(驚!)。

新しい会社での経理業務は、支払い、売り上げ回収など、実用的な経理経験が求められており、そういった経験のあるネイティブを採用した方が良いにも関わらず、経験の全くない(私は当時工場の原価計算を担当してました)、また英語もままならない日本人の私を採用してくれたのです。

彼女は、不安がる私を、”新しいことを経験するチャンスだ”、といって全く不安なんてないというような明るい表情と言葉で励ましてくれました。

他のスタックからは、なぜ私が選ばれたのか、選んだ課長に不審の目を向ける人もあったようです。

はっきりした理由は訊いていないのですが、彼女は私を”信頼”していてくれたようです。

この点についてはまた後ほど詳しく述べたいと思います。

 

 

 

実際に解雇された経験。

二回目は、新しく移った会社も結局閉鎖されることになった際です。

しかし、その会社での数年の経験は大きなものでした。

まず、その間に大学を無事卒業することができた。

仕事的にも売り上げの請求から、支払い業務、財務諸表の作成、新しいビジネス構築のサポートと幅広い経理実務を一通り経験することができ、アメリカでやって行く目途がついたのもこのころです。

ですから、今回解雇ということになっても、それほど不安は感じませんでした。

振り返ってみると、当時お世話になった、経理課長のお陰は本当に大きい。

非常に優秀で、頭は切れるし、人情味もある素晴らしい方だった・・・。

今でも年に一回は会って近況を報告しあっています。

素晴らしい方とご縁を持つことができ、今の自分がこうしてある・・・、感謝の念に堪えません。

小さな会社だったので、社長を含めて全従業員皆仲が良かった。

基本的に前の会社から知っていて気心知った者たちです。

自分たちとしては精一杯やった、新規ビジネスも一致団結獲得したし、これで閉鎖になるのだったらしょうがない、という感じでした。

ですから、この解雇は精神的にも雰囲気的にも暗い雰囲気のない、受け入れやすい、前向きなものでした。

解雇とはいえ、いい思い出として残っています。

 

これが解雇かと思い知った三回目と四回目。

今から10年ほど前でしょうか、いわゆるリーマン・ショックが世界中に起こった時ですね、当時勤めていた米系会社で経験した解雇はショッキングなものでした。

それまでいけいけドンドン、雇用を増やして会社としても上昇傾向にあったのですが、あの出来事以来急速に収益が悪化し、早急に対処をしなければならいようになりました。

当時会社の財務諸表を作成しながら、これはやばいなあ、と感じていたのを覚えています。

 

それはある日突然起こりました。

朝会社に着くと、集会場に呼び出され、今ここにいない人たちは本日解雇されることになった、とのこと。

今解雇される人達の手続きを別室でやっているので、それが終わるまでここで待機するように、と言われました。

見渡すと、誰が解雇されたのかが分かる・・・。

途中、私は集会場を抜け出して、トイレに行ったのですが、当時一緒によく働いていた支払い関係の男性、彼は解雇される側だったのですが、彼がぶつぶつ文句を言いながら荷物をまとめている様子を垣間見ました。

”いきなり朝からまいったよ、これからどうやって仕事を探そうか・・・”、

みたいなことを結構大きな声で呟いていました。

まだ子供は小さいし、彼自身大学に通っている身でした。

相当不安であったことでしょう・・・。

その時は、全体の一割ほどが解雇されたでしょうか。

 

解雇劇のショックからようやく落ち着き始めた数か月後、さらに大規模な解雇劇があったのです。

 

まだ朝早い午前中。

丁度、経理部長と二人でミーティングを行っていたのですが、その会議室に副社長が入ってきました。

非常に険しい表情だったのを覚えてます。

私には目もくれず、

”ジェフ、ちょっと来い。ハルはここで待て。”

と。

二人で立ち去ったそのすぐ後、副社長が戻ってきて、

”ハル、お前も来い。”

と。

部長の行き先は解雇組、私の行き先は生き残り組、だったのです。

 

集会場に着くなり、”またか~”、という感じでした。

その時の解雇者数は全体の3割ほどという、かなり激しいものでした。

”ええ、あの人も”

というような人も多数含まれていました。

 

かなりの衝撃でした・・・。

 

中間管理職のポジションはかなり削減されたのですが、副社長以上のいわゆる上級管理職はだれも解雇されていない。

その現実に、元々の責任はあなたたちにあるのでは、なぜ下の人ばかり切って、あなたたちは安泰なのか、と疑問に思ったことでした。

しかしその後、徐々に業績が回復してくる中、優秀な人物、当時やむを得ず解雇せざるをえなかった人を再雇用するなど、会社自体、昔の姿を回復して行った・・・。

少しづつ明るい活気に満ちた会社に戻ってきていているのが感じられました。

それにより私の経営陣に対する信頼もまた回復してきました。

 

 

後日談ですが、当時の経営陣トップ5名、その後7年以内に、結局全員が解雇されています。

会社の株主が変わり、まず社長が交代させられた。

コスト削減を掲げる新社長は、じわじわと、いつ果てるともなく一人、また一人と解雇を継続しました。

それは多くの従業員に異質に映りましたし、会社への信頼・忠誠は当然堕ちました。

会社の古き良き伝統を受け継いだ、核となるべき人物が自らあるいは強制的に会社を去る中、会社自体が全く異質なものになってしまった・・・。

 

・・・結局私も会社を去りました。

去った原因は会社の変貌に失望しただけではなく、その他複合的要因であり、今振り返ると、結局新しい会社へ移る時期であったのだろうと思います。

 

次のページでは、このような経験を通して私が学んだ、解雇されない人の特徴について述べます。

仕事, 転職解雇

Posted by HAL


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