人間死んでも死なない(?)、という事。

2018年3月19日

新年明けて最初の週を終えた方も多かったかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。

今回は以前にアナウンスしました、「読書会」の感想文、第一回です。

課題となっている本は、谷口雅春先生著『第二青年の書』です(今回は第一章から三章まで)。

 

管理人注:下写真、谷口雅春先生です。「生長の家」創始者・谷口雅春先生を学ぶ会様のHPよりお借りしました。

 

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第2青年の書

 

実際に本を購入する必要はなく、平賀玄米様が謹写された御文章がネットで公開されておりますのでそこで読むことができます(詳しくは読書会アナウンスのブログをご覧ください)。

 

この新年から新たな自分に生まれ変わる、そんな歩み始めになれればと思います。

それでは第一回目、行ってみましょう!

管理人注:以下、私自身本を読んで学んだ事を皆さんにお伝えするという側面もございます。誤解している点等ございましたら、ご指摘・ご教授いただければ幸いです。

 

 

 

外観にとらわれるな。

青年よ、あなたは既に完全である、何処にも欠点はないのである。あなたは素晴らしいのである。

本文 P3

 

上は本文最初の書き出し2行であります。

この本で述べたいこと、伝えたいことがこの2行に凝縮しているかのようです。

そうです、この本を読むことで、自分が既に完全な存在であること、素晴らしい存在であることが分かるようになります。

”そんなこと言ったって、こんな欠点だらけの自分のどこが完全なんだ”、と思われる方もあるでしょう。

それは本文を読み進めるにつれて、疑問が晴れるはずです。

 

今現在、例え不完全な姿であるとしてもそれは”仮”の姿なんだ、ということなんですね。

ちょっと実感しにくい話になるかもしれませんが、自分はこの”肉体”ではなく、肉体の中にある”命”であると考えてみましょう。

 

命は物質ではありません。

そしてその物質でないところの命は肉体とは違って、死ぬこともなく朽ちることもなく、永遠であり完全である。

たとえ肉体的には病気であっても、命そのものは病気にはなりません。

刻々と変化する外観(肉体)に囚われることなく、自分に内蔵する真に完全な自分を知ることが大事であります。

 

本文で例えとして、映画のフィルムが述べられています。

映画のフィルムが完全円満な命であるとします。

映画のフィルム自体は、それを映写機にかけて上映しないことにはその内容を観ることはできませんが、そのフィルムの中にはすでに全ての物語があるのです。

ただ、それが現れてくるのには時間がかかります(徐々にでてくる)。

しかしそれも、自覚して出そうとしない限りはでてきません。

それは丁度、フィルムがあっても、実際に上映しないことには映画が観れないようなものです。

ですから、まずは自分が完全な存在であると自覚すること、そしてそれを発揮しようとすることです。

それを、本文では、

”「観る」ことは「つくる」ことであり、「あらわす」ことである。”

と述べられています。

 

 

我々に宿る知性を知る。

皆さんに宿っている「知性」と、遍く宇宙に充ち満ちている「知性」とは同じ「知性」である。

本文 P14

 

ここで言う「知性」とは物理の法則とか力学の法則といった、正確な運行によって支配されるところの秩序を形成するもの、です。

私は文系の人間で、物理・科学等の勉強もしておりませんので、詳しいことは分かりませんが(汗)、例えば太陽を中心にして公転しているところの地球でいうと、その軌道がずれることはないでしょう。

毎日太陽は東から登り、西へと沈む。

そこには秩序があるといえます。

無軌道に働こうとする力を制御する力であり、それが「知性」である、ということです。

そしてこの宇宙に充ちている「知性」と同じ「知性」が我々の中にも宿っているのです。

例えば、どんな人種に限らず、目が横につき、鼻は縦に、口は横にある。

これなんかも、やはり秩序が保たれている証拠であります。

心臓が動く仕組みはどうでしょう。

意識するしないに関わらず、定期的に動いて体の全身にくまなく血液を送り出す心臓の働き。

これなんかも、人体における秩序の一つであり、そこになんらかの「知性」が働いていると言えるのではないでしょうか。

こういった「知性」を所有しているもの、それが「生命」(命)であるのですね。

またこの生命は必要とあらば、法則をも超えた力を有するものであり、無からして一切を作り出すことのできるものでもあります(詳しくは本文を参照ください)。

このような偉大な素晴らしい生命が我々に宿っているのです。

そしてその生命こそが実は我々である、ということです。

 

 

 

肉体は道具。人間は死なないが道具は死ぬ。

極論すれば、結局肉体は(大変有り難いものではありますが)道具にすぎません。

ふだんからこの道具は内なる”生命の力”によって修理されてはいますが、いずれは朽ち果ててしまいます。

しかし、人間そのもの(命)は死にません。

道具が死ぬのです。

 

・・・道具というと、何かの目的を果たすために用いるもの、ですね。

もし、肉体が道具だとしたら、我々はこの肉体を使って何かを果たすためにこの世にいるということです。

 

ここが重要です。

この道具(肉体)が朽ち果てるまでに、我々はこの世で一体なにをやり遂げたいのか?

 

朽ち果つべき肉体の快楽などよりも、永遠に続く魂に徳を積んでおくべきものだと分かるのであります。

本文 P30

 

この世で果たすべきことがあり、そのための道具であるのに、道具自体に心を奪われてしまって、本来の目的を忘れてはいまいか?

 

今まで述べてきたように、その道具を操る本当の自分は素晴らしい存在(命)なのです。

また、肉体(道具)自体は本当の自分ではない・・・。

この2点は、しっかりと押さえておきたいところです。

 

本文に書いていることを、できるだけ簡潔に分かりやすく書こうと思っているのですが、私の文章力ではなかなか難しいです(汗)。

どうぞ本文をお読みください。

雅春先生が非常に分かりやすく詳細に説いておられます(笑)。

 

次回第二回は、2月18日(日)にアップ致します。

第四章から九章までを読んで行きます(ページ数にして80ページほどです)。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

研究室より

朝、出社前、玄関を出ると綺麗な三日月がでておりました(下画像、木のてっぺん、真ん中付近、米粒ほど、小さく映っています)。

冷たい澄んだ空気、非常に気持ちの良い朝でした。

 

 

新日本プロレス、オカダカズチカ選手のレインメーカー・ポーズでもって、大きく深呼吸をして会社に向かいました。

下画像、オカダ選手のレインメーカー・ポーズです。

 

ここで一句。

 

勝利者の

雰囲気に酔う

出社前・・・。

 

・・・、おばかさんです(笑)。

 

管理人注:読書会第二回、アップしました。


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