お酒、アルコールをコントロールする方法について。(その3:『生命の實相』が教えてくれた。)

2018年3月19日

標題については、今まで1、2と書いてきました。

その2の中で、稲盛和夫氏が愛読されていた谷口雅春先生『生命の實相』について紹介しました。

全巻で40巻あるのですが、中でも初めて読まれる方に私が自信をもってお勧めする一冊が『生命の實相』頭注版 第7巻 生活編です。

 

管理人注:下写真、谷口雅春先生です。「生長の家」創始者・谷口雅春先生を学ぶ会様のHPよりお借りしました。

 

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この本のアマゾンでのカスタマー・リビューの一つがこれです。

わたしは、元アル中です。どうしても酒が止められず、心も体もボロボロになり、当時40歳前にして、すでに人生を投げていました。でも、この本によって救われました。わたしがアップしたこの文章を今読んでいる方の中で、かつてのわたしの様に、にっちもさっちもいかなくなってしまった方がいたら、読んでみることを是非ともおすすめします。By Charkoさん(太字は管理人による)”

 

この『生命の實相』頭注版 第7巻 生活編、過去に何度も繰り返し読んでいますが、ホントに素晴らしい本です。

ですからCharkoさんが、『生命の實相』を読んでアルコールの悩みを解決することができたというお話を聞いて、さもありなんと、思った次第です。

おそらくこの本すべての文章が、Charkoさんのアルコールの悩みを解決する手助けとなったことでしょう。

が、今回は、あえてこの『生命の實相』頭注版 第7巻 生活編の中のどの部分(文章)がアルコールの悩みを解決するのに特に効果的であるか、を(私の全くの独断ではありますが)紹介したいと思います。

 

 

本当の自分を知る。

下の文章は、『生命の實相』筆者谷口雅春先生によって昭和9年(1934年、今から80年以上前ですね)5月に書かれたもので、この『生命の實相』を読むことでどういう功徳があるかを説明されています。

 

・・・自分を生かしているところの神秘な生命の実相を知る。

自分の生命とはなんぞやということを知る。

吾に宿る生命に埋蔵されている無限力、無限生命を知る。

その時忽然、自分を今まで苦しめていた自分自身の迷いが消える、自分自身の魂が全然なにものにも縛られないところのとても自由な境地に出られるのです。

これが魂の本当の救いというものでありまして、その副作用としていろいろ現実界の病気、不幸等も雲散霧消してしまうのです。

『明窓浄机 草創篇 昭和5~12年』P112 (太字は管理人)

 


明窓浄机―草創篇(昭和5~12年) (1979年)

 

『生命の實相』は、それを読むことによって、自分がどれほど素晴らしい人間であるか、貴い人間であるか、ということが自然と分かるように書かれているのです。

その理解が意識に定着することで、自分はアルコールの誘惑に打ち負かされるような、弱い存在ではなく、アルコールを支配する強い存在だ、という感覚が醸成されてきます。

このことを仮に薬(=『生命の實相』)で例えますと、人間の素晴らしさを心に植え付け、確固に認識することが薬本来の作用だとして、日常生活の様々な障害が消え行くことはその副作用のようなものだ、と言うことですね。

本の中で、アルコールを支配するような強い存在である自分は”神の子”と表現されています。

上の文章にもありますように、神の子とは、無限の力をもった者であります。

無限の力を蔵した存在が本来の自分であるー。

ここで、とは言え、自分にはとてもそのような無限の力があるとは思えない、と正直感じられる方もたくさんおられることでしょう。

そんなこと今まで考えたこともなく、いきなり言われたらそうですよね。

ですからこの『生命の實相』を読んで、その想いを確認して頂きたいのです。

谷口雅春先生の書かれた文章を初めて読んだのは小学5年生の時ですが、その文章を私は今でも覚えております。

それは、このようなものでした。

”地下に大きなダイヤモンド(あるいは金貨であったか)が埋まっていたとしても、それを掘り出さないことには、ダイヤモンドを手にすることはできない。

 

 

自分の中に埋まっている力もそのようなもので、それを掘り出さないことには手にすることはできない。”

子供ごころながら、なるほどなあ~、と思ったものです。

単純であった私は、じゃあ掘ればいいんだ、掘れば必ずでてくるんだ、と思って妙に明るく希望の感じに満たされたのを覚えています。

私たちにその力はあるのです。

アルコールに、お酒に負けない力はあるのです。

それを掘り出せばいいのです。

 

今あなたに生活難や病があるならば、それは神の子だという自覚がなかった時に、あなたが心の世界に蒔いた種が生えてきたのだ。

今、自分は神の子だという自覚の種を心の世界に蒔け。

やがて未来に本当の神の子らしい運命があなたにやって来る。

『生命の實相』頭注版 第7巻 生活編 P40

 

ここにはほんの何千文の一しか『生命の實相』の文章を載せることはできません。

ぜひ実際手に取って読んでみてください。

そして未来において、お酒・アルコールに悩まされることのない、自信と希望に満ちた生活を実現してください。

 

取り越し苦労をしない。

「取り越し苦労」より生ずる生理的産物たる毒素は、他の種の感情より生ずる毒素よりも人間の判断力を鈍らす作用が強いのである。

そのために計画は蹉跌し、仕事は思わしく行かず頭はクサクサしておもしろくないから、感覚的刺激で精神をなぐさめようとする。

ここに飲酒耽溺(よくないことに夢中になって他のことをかえりみないこと)やその他いろいろの悪徳がそれにともなうようになる。

一つの取り越し苦労は、輪に輪をかけてその人の精神的労苦道徳的頽廃とを誘起する。

『生命の實相』頭注版 第7巻 生活編 P119-120(太字は管理人)

 

すべての悪の根源は取り越し苦労である、ということです。

つまり、簡単に言うと、何かと先のことを心配しすぎること、あるいは不安がる心境(=恐怖)、のことでしょうか。

 

 

本の中で、サラリーマンが自分の意に反して、本当は会社へ行きたくないのに、遅れて上司より叱責されるのを恐れ、戦々恐々としながら慌ただしく列車の席を立つ描写が書かれています。

常に彼らは何か不吉な予感に駆り立てられ、「取り越し苦労」の魔物に駆り立てられている、と。

そして更には、現代人の生活者の多くはたいていこうなのである、とも書かれています。

・・・痛いところをついております。

昭和の初期のころから、多くのサラリーマンはこうだったのですね。

今とあんまり変わりません。

そしてまた、この取り越し苦労が及ぼす精神的ダメージは、特に判断力を鈍らし、結果様々な失敗を引き起こす。

そしてその憂さ晴らしに、アルコールに手が伸びてしまう・・・。

それでは、「取り越し苦労」をする悪癖を断ち切りましょう。

・・・とは言え、今ままで培ってきたの心の習慣はそう簡単に変わるものではありません。

そこで、言葉の力を使って、取り越し苦労をしないような暗示をかけることで、今までに培った心の悪癖を変えて行くのです。

 

わたしは勇気だ、勇気そのものだ。

意気消沈なんてわたしの本性には全然合わぬことだ。

希望は太陽のように永遠に前途に輝いている。

一時の暗い影は雲のように過ぎ去る。

何を心配することがあるか。

もう自分は心配という悪習慣をなげすてたのだ。

わたしは勇気そのものになったのだ。

『生命の實相』頭注版 第7巻 生活編 P127

 

上のような力強い言葉を繰り返し、繰り返し念じます。

始めは信じることができない気持ちとともに唱えてもいいかと思います。

繰り返し念ずることで、自分の中に眠っている(=実際に存在しているのです)無限の力が湧き出てきます。

生きる力、希望が湧き上がってくるはずです。

このブログには、そのような言葉、文章がたくさん紹介されていますから、このブログに来て、それらの文章(『生命の實相』『青年の書』)を読むだけでも効果があるはずです。

本の中で、生命は言葉である、と述べられています。

その意味は何でしょうか?

簡単に言うと、言葉として想うこと(ちょっと変な日本語ですが)、そして言葉で唱えることが良きにつけ悪しきにつけ吾々の”生命”に現れてくる、ということです。

ですから、普段吾々が想う言葉・話す言葉が生命を、すなわち人生を作っているということです。

吾々の生命に現れ人生を形作るもの、それが言葉なんですね。

良い言葉を使いましょう、という本当の意味もここにあったのですね。

 

あきらめない。

最後はシンプルに、あきらめない。

失敗してもいいので、とにかくあきらめないこと。

 

いくどつまづいてもいくら倒れても起き上がるものは、やがて自己の生命が実に偉大に生長してくることを発見するであろう。

常に起き上がりさえするならばつまずくとも、倒れることは自分の生命に経験を増し、自分の生活体験を豊富にし人への思いやりを増し、愛を深めて、その人をいっそう完全な人とする資料となるのである。

『生命の實相』頭注版 第7巻 生活編 P135(赤線は管理人による)

 

たとえ失敗して、自己嫌悪に陥り、もう人生だめだ、という心境になったとしても、またチャレンジすることができればいいのです。

人生には無駄なんてない、ということを上の文章は教えてくれているのではないでしょうか?

ただ一つ、肝に銘ずることは、あきらない、ということ。

『生命の實相』を読んで、その想いをぜひ確信してください。

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追記:広告の下に”研究室より”として日馬富士関連の記事を追加しました。

 

 

 

研究室より。

平幕・貴ノ岩に暴行をしたとして横綱・日馬富士が今世間をにぎわせています(2017年11月初旬現在)。

上画像:ウィキペディア -日馬富士よりお借りしました。

 

聞くところによれば、暴行した時はかなり酒に酔っていたとのこと。

もともと酒癖が悪いようで、以前にもいくらか酒がらみで問題を起こしていたようです。

今回の事件で彼は、世間に対して決定的なダメージを負ってしまいました。

最悪逮捕そして引退、もし免れたとしても今後この汚名を晴らすことはかなり難しいでしょう。

本人が精神的に負った傷もかなりのものと推察します。

これだけの話からはとんでもない横綱だ、と思われるかもしれませんが、あまり知られていない意外な側面もいくつかあるようです(日馬富士画像の下にあるウィキペディアより以下抽出しました)。

    • 2014年4月より法政大学大学院政策創造研究科に入学。史上初の大学院生横綱である。

 

    • 2015年12月23日から27日までの間、東京・銀座の日動画廊で自身が描いた油絵などの絵画展を開催(日動画廊でプロ以外の展示が受け入れられたのは歌手長渕剛以来2人目)。

 

    • ある時の地方巡業で、朝日山(元関脇・琴錦)の知人の娘で不登校の子供を見かけた際、それを知ってか知らずか、すぐに「おいで、一緒に写真を撮ろうよ」と優しく声を掛けた。そのおかげでその少女はすっかり相撲好きになり、小学校にきちんと元気に通うようになった。

 

このように学識を持ち、芸術的才能もあり、人情味もある、それでいて相撲界の頂点を極める横綱である。

常人を遥かに超えた域にある人間なのです。

・・・おそらく、

”酒”が彼の唯一の鬼門だったのではないか。

そして、その唯一の鬼門によって、たった一点の悪癖のために、その他あらゆる卓越した才能、人間性全てを否定され喪失してしまったのではないか。

恐ろしい話です。

推測ですが、今まで酒によって相当苦労してきたであろう・・・。

周りの人からさんざん忠告を受けたであろう・・・。

”この酒さえ辞めることができたら”、と度々思ったことであろう・・・。

それでも尚、コントロールできなかった、”酒”。

そして今回、もう取返しのつかない事件を起こすまでに至ってしまった。

非常に残念なことです・・・。

・・・実は私も相当危ない橋を渡ってきました。

今だから話せることです。

 

管理人注:上画像。さすがにこれはないでしょう・・・。

 

もう20年以上前でしょうか、どうやら飲酒運転をしたらしい。

なんとか家にはたどり着いたものの、どうやってたどりついたかはよく覚えていない・・・。

・・・もしその時、人を轢いていたとしたら、今の私はありません。

たとえ人を轢かなかったとしても、警察に見つかっていたら、あるいは、物損事故でも起こしていたら今の私はありません。

つまり運が良かっただけのこと。

幸い今はお酒に支配されることなく生活させて頂いておりますが・・・。

今お酒に悩んでいる皆さん、日馬富士の事件をみてどう思われるでしょうか。

そのような事件が自分に起こる前に、お酒の呪縛からぜひ逃れられるよう願っております。


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