命より大切なものがある、それは・・・?

2017年11月21日

標題、ちょっと重いテーマのように聞こえます。

普段自分の命より大切なものってあるのか、それが何であるのかなんて考えることはそうそう無いでしょうから、この機会にちょっと考えてみませんか。

人間、本能的に自分の命を守ろうとしますから、まずは自分の命が第一と考え行動するのは至極当然のことのように思えます。

ただ過去の歴史において自分の命を犠牲にしても、他の多くの人々の命を救った人が多数存在した事もまた事実です。

そういった人々は少なくとも、”自分の命を守ることが一番大切”という考え方は(心の奥底で)もっていなかったのではないか。

だからこそとっさの急場に、自分の命を犠牲にするような行動を起こすことができたのではないか。

 

大熊良樹先生による『いのちが喜ぶ話』、お勧めの話今回第四弾ですが、この命より大切なものは何か、ということについてお話くださっています。

私はこの話がすごく好きでして、何が良いかと言うと単なる美談に留まらない、その大切なものを信念の核として大熊先生が日々人生を歩まれている、その事実に心から共鳴するとともに、大熊先生の強いお覚悟が感じられるからです(偉そうなことを述べてます)。

皆さんにもぜひ観て聴いていただいて、私の意図するところを感じ取っていただきたいと思います。

それでは『いのちが喜ぶ話』、お勧めの話第四弾、行ってみましょう。

 

 

自分さえよければ良い、という不幸な社会

今回この第四弾の話を聴いて思ったのが、2014年4月16日に起こった、韓国フェリー転覆事故(セウォル号転覆事故)です。

乗員・乗客の死者299人、行方不明者5人、捜索作業員の死者8人という犠牲者数は、韓国史上最悪の海難事故です。

不幸なことに、たくさんの高校生が犠牲になってしまった・・・。

韓国では、2013年まで10代の死因1位は自殺(それもまた悲しい事実ではありますが)でありましたが、この事故により高校生が多数亡くなったため、2014年の10代の死因1位は運輸事故となってしまったそうです(ウィキペディア フリー百科事典:2014年韓国フェリー転覆事故より)。

それほど多くの若い命が、これからという若者が犠牲になってしまった。

ご本人はもちろん、ご両親の無念さを思うと、いたたまれない、想像もつかない・・・。

当時、真っ先に脱出した船長に避難が集中しました。

また、多くの乗客が犠牲になった陰で、ほとんどの船員は無事に脱出したそうです。

 

 

以下ウィキペディアより抜粋。

セウォル号沈没事故の遠因には、韓国社会の体質にも原因があるとされた。

朝鮮日報では、韓国社会は「生き残りたければ他人を押しのけてでも前に出るべきだと暗に教えてきた」として、家庭・学校・職場を問わず、犠牲と分かち合いよりも競争と勝利が強調され、清き失敗よりも汚い成功をモデルにしてきた結果としている。

韓国では基本、規則、基礎、ルールを大切に考える人間に対し、何か世間知らずの堅物のように見下す雰囲気があり、それどころか、ずる賢い手口を駆使できる人の方が、有能な人間のように扱われるとされ、今回のセウォル号沈没事故の根底には、このような基本を無視する韓国社会の病弊があることを指摘している。

(以上(太字は管理人による)、ウィキペディア フリー百科事典:2014年韓国フェリー転覆事故、韓国社会の問題より)

 

まさに吾さえ良ければ全て良し、他人は関係ないの考え方。

もちろん全ての韓国国民がそのような思想をもっているとは思いません(実際この事故においても、最後まで残って乗客を先導し犠牲になった方が存在しています)。

が、ある程度は事実かもしれない。

というのも、ここまで惨事が大きくなってしまった背景には、こういった韓国社会の国民思想と多分に合致する事実が存在するからです。

それは運航会社のあまりにも乗員の安全性を無視した利益至上の運営であり、詳しくは述べませんがここまでやるのかと思えるほどのもので、一聴信じられません。

今までうまく行っているのだから大丈夫だろうと、あらゆるルールを犯している危険性に完全に麻痺していまい、歯止めが利かなくなり、その危険度が本当にブレーク・ポイントに達したところでこのような大惨事が起こってしまったようです。

韓国社会に限らず、このような”自我”至上主義的(この世で楽しんだもの勝ち、自分さえよければ良いみたいな考え方の)思想がたどり着く先は、結局は不幸せで悲惨な社会の構築に他ならないと思います。

そのような社会を自分は絶対望まないし、子供達にも残したくはありません。

 

皆の命が貴い

つい先日、アメリカ、ラスベガスで起こったアメリカ史上最悪の銃乱射事件

59人が犠牲になり、500人以上が負傷された、大変に痛ましい事件です。

 

 

コンサートの最中、突然上空からどこからか分からないまま銃弾が降り注いでくるのですから、その恐怖たるや如何ばかりかと察します。

誰もが一斉に逃げ出す中、30人ほどの人々を救う手助けをし、それがために首に銃弾を受け負傷した一般男性の話を目にしました。

幸い彼は一命を取り留めましたが、首筋に受けた弾丸を取り除くことが不可能となり、その弾丸を一生体に背負って生きてゆくことになったそうです。

インタビューを受けた際、彼はこう答えています。

「もし自分が困っていたら他のだれかにも同じように助けて欲しいと思う。コンサートを観に来て、命を落とすなんてことは誰にとっても起こるべきではないんだ。」

淡々とした答えですが、実際当たり所が悪ければ彼は死んでいた訳です。

自分の命を落とす危険を冒してまでも他人を助けることを実行した彼の信念に心より敬服します。

彼の心中にあるのは、自分も含めて皆の命が貴い、価値あるものだという理解であり、自分だけが助かればいいという考え方とは全く逆のものです。

アメリカ社会がどうだ、韓国社会がどうだ、という事ではもちろんなく、人間として生きて行く上でどうあるべきか。

人間死んだらお終い、自分さえ良ければ良いという考え方をもし皆が皆持っていたら、そんな人達で構成される社会は、地獄のような人間社会になると空恐ろしく私は感じます。

他人を蹴落とすものは自分も蹴落とされる、結局は皆が不幸せになる社会。

自分だけが幸せであればよいという願いが叶えられることはないのです。

徳を貫く生き方

以下のYouTubeで大熊先生はおっしゃっています。

「命より大切なものがある、それは徳を貫くことである。」

”徳を貫く”、とは一体どうゆうことか、皆さんはいかがお考えでしょうか?

自分が自分の命より大切だと思えること、それが徳を貫くことにつながっているでしょうか?

私は正直、自分の家族の命は自分の命より大切と思える、それは確かです。

確かにそれは家族の命を守るという徳を貫いていると言えそうです。

これを推し進めて行くと、家族から友人、友人から隣人へと広がって行き、それら皆の命を救うことが徳を貫くことになる・・・。

・・・つまり他人の命を救うことですね。

ラスベガスの銃乱射事件で、彼が取った行動はまさに、究極の徳を貫く行為だったのかもしれません。

 

さて、この徳を貫くということ、大熊先生は、どのように言われているかと申しますと、それは

「命がけで命を守ること。」

 

 

中絶によって生まれ来る新しい貴い命が日々失われている。

その命を一人でも多く救うために先生は命を懸けておられる。

このブログのサイドバー上段にも載せてありますが、大熊先生が理事長として運営されている、

「 100万人の生命を救う」プロジェクト、一般社団法人「いのちを守る親の会」

HPはこちらをクリック

今年で4周年を迎えられました。

私財を投げ打ってまでも使命に邁進される大熊先生のお姿を、私も外野で細々とながらも応援して行きたいと思います。

このブログを読んで下さっている皆さん、感じ入るところがございましたら、ぜひこの「 100万人の生命を救う」運動にご協力をお願いたします。

 

お母さんのお腹の中に宿った赤ちゃん、3か月も経ったら元気一杯なんですね。

お母さんのお腹の中で飛び跳ねる赤ちゃん。

もう早く出てきたい、お母さん、お父さんに早く会いたいって強烈にアピールしてるかのようです。

まだお腹の中にいるとはいえ、年齢でいえば(生を授かって)0.25歳。

吾々よりずーっと、ずーっと若いというだけで、吾々と同じように今この地球上を生きているのです。

 

今回は計らずも最後の方は「いのちを守る親の会」の宣伝となってしました(笑)。

皆さんにとって、”命より大切なものは何か”、”徳を貫くとはどういうことか”を考える機会になってもらえればと思います。

 

 

PS: 広告の下に、”研究室より”の記事追加しました。

 

 

研究室より

このYOUTUBE、皆さん見られたでしょうか?

耳の聞こえない赤ちゃんが、補聴器をつけて初めて聞いたお母さんの声。

赤ちゃんの”はっと”して微笑む表情が印象的です。

その後、”お母さんの声が聴けてうれしいよお”って涙ぐんでますね・・・。

追伸:お勧めの話、第5弾アップしました。


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